まず村田氏が水俣病問題に40年以上にわたって粘り強く取り組んでこられたことに感銘を受けると共に深く敬意を表したい。水俣病問題は学生時代に書物を通して初めて知ったが、その後永きにわたって被害は続き拡大してきた。半世紀に及ぶ熊本や新潟など現地の被害者や関係者を中心に多くの方々の努力によって広く知られるようになり、ようやく2004年になって最高裁判決で勝訴に至った。しかし、その間に多くの患者が亡くなり、今も救済されず放置されてきた。また、胎児性水俣病など新しい問題が続いている。
- 最高裁判決の勝訴にもかかわらず水俣病を生んだ日本社会の構造は今も変わっていない。当時から有機水銀汚染が原因であ...