Uncategorizedとして分類されたブログ

 今回の村田先生のお話を伺って、〈公害〉という言葉が、まるで歴史上の言葉になっているかのごとき現状への警鐘のように感じました。私は1963年大学を卒業したのですが、当時「公害」は、新たに登場した、社会問題や社会運動の極めて象徴的で熱っぽい社会現象となっていたように思います。今、公害という言葉は、当時のような熱気をもって使わなくなった。しかし、解決したのではないし、現代の問題に多様に繋がっている深刻な課題であり続けていることを忘れてはならない。そんなメッセージを感じました。

垂水英司
 まず村田氏が水俣病問題に40年以上にわたって粘り強く取り組んでこられたことに感銘を受けると共に深く敬意を表したい。水俣病問題は学生時代に書物を通して初めて知ったが、その後永きにわたって被害は続き拡大してきた。半世紀に及ぶ熊本や新潟など現地の被害者や関係者を中心に多くの方々の努力によって広く知られるようになり、ようやく2004年になって最高裁判決で勝訴に至った。しかし、その間に多くの患者が亡くなり、今も救済されず放置されてきた。また、胎児性水俣病など新しい問題が続いている。 

  1. 最高裁判決の勝訴にもかかわらず水俣病を生んだ日本社会の構造は今も変わっていない。当時から有機水銀汚染が原因であ...