【書評】『日ソ戦争』麻田雅文(中公新書)/池田

2025.06.25 19:22 - By TK

池田昌博

 新書大賞受賞作品、学術的な検証部分も多く歴史書としては読みづらい箇所もあるが、アジア・太平洋戦争における日ソ関係を知る力作である。この膨大な検証作業には敬意を感じてしまう。

 敗戦末期の突然のソ連軍の対日参戦ではあったが、フランクリンルーズベルトやトルーマンの意向が強く反映していたということが、封印を解かれた文書から伝えてられる。米国の意向は、連合国の圧倒的勝利、我が国の無条件降伏と早期の終戦であった。

 逆に、ナチスドイツとの激戦に追われるソ連にとって、対日戦争は招かざる戦であった。米英は、独ソ戦だけでなく対日戦でもソ連に多くの武器を供与していたのではあるが、スターリンにとって眼中にあったのは独ソ戦だけであったとも言える。我が国も中国戦線、アジア太平洋戦線と戦火が拡大する中、もうこれ以上戦火を増やしたくない、ソ連政府が米政府との仲介をしてくれるのではないかという軍部の甘い思い込みもあった。

 原爆開発に成功した米国にとっては、もうソ連の参戦は不必要であったとの思いはあったが、前述の通り、早期の対日無条件講和は絶対条件であった。ただ、最後のどさくさに参戦したスターリンの狡猾さや戦後処理にソ連の意向が強く反映した史実は否定できない。唯一、マッカーサーの意向で北海道が占領されなかったことだけが救いである。

 本書では8月9日の日ソ開戦以降の、両軍の戦いや戦勝者としての行為も記録されるが、戦争だからと簡単に片付けられないことが記されている。最後の対戦車特攻に動員された若い兵士が失敗すると見せしめに上官に射殺されたという。

 多くの民間人が置き去りにされたことは知られているが、ソ連兵の残虐行為もしっかりと伝えている。著者は森繁久彌、宝田明。五木寛之、赤塚不二夫の凄まじい体験や、吉村昭が早い段階で記録小説としていることを伝えている。

 戦利品として処理される女性の姿は悲惨である。水商売の女性がソ連兵に提供されることもあった。女性たちの多くは無事帰国しても離縁され自死することも多かったようである。我が国も中国戦線などで想像を絶する残虐行為を行ったが、決して相殺されるようなものではない。シベリア抑留も想定外のでき事であった。父の母方の叔父はシベリア抑留中に亡くなっている。また、樺太など帰国した民間人は生活苦からこの危険な国に生活の糧を求めて密航したという。

 帰国船3隻がソ連の潜水艦により撃沈されている。1708人の生命が失われたという。沖縄での対馬丸事件も悲劇ではあるが、こちらは敗戦後である。なぜかこの史実は、元参議院議員の中尾則幸氏が国会で取り上げたというが、あまり知られていない。

 日ソ戦の被害者は多様である。樺太の原住民は戦後の居住が認められたがアイヌは和人として退去させられている。朝鮮人、白系ロシア人はどちらについても二重スパイとして扱われたという。そして朝鮮半島の分断、今も解決しない領土問題。

 著者は日ソ戦争を演出したのは米国、出演を渋ってきたのは大物役者ソ連、最終的には莫大な「報酬」を目当て、ひとたび、舞台に上がって大暴れしたのがソ連であるとまとめている。

 戦後80年となる。体験者も僅少となるなか、戦勝国では戦勝記念の行事が行われている。それぞれが大義名分を持つのではあるが、不戦への誓いの場とならないのであろうか。追悼行事をそれぞれの立場を超えて共同で行えればとの思いはある。著者もそう記している。ただ、アウシュビッツの生存者にドイツ兵への追悼を求める難しさも感じる。中国戦線でも同様である。史実を否定し、被害者の悲惨な思いを共感できない人たちも存在する。しかし、この困難を乗り越えないと戦火が収まることはない。相手国を憎むのでなく戦争を憎むことを知り、史実を伝える努力が私たちの務めである。

池田昌博

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