NPO法人KOALA 池田昌博
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「国鉄」石井幸孝 -「日本最大の企業」の栄光と崩壊(中公新書)
JR九州が運航する関釜フェリーの船首部分の浸水を把握しながら事実を隠蔽し、3か月以上運航を続けていたことが伝えられた。現在、値上げ申請中の運賃問題についても、財務基盤の強化という観点で一定の理解を示しても、総括原価の算定方法に関して研究者から様々な問題が指摘されている。このようななか、JR九州の経営の中枢を担った石井幸孝の著書を紹介したい。
(1) はじめに
国鉄「改革」に関する文献には少なからず目を通してきた。「改革派」といわれたJR東海の葛西敬之の「未完の国鉄改革」や労働側からの「告発」ともいえる文献なども、まだ記憶に新しい。
そのような中、本書は「国鉄改革」の一端を担った初代JR九州社長による戦後の国鉄・JR史であるが、ある意味、客観的な目線で国鉄の経営体制について厳しい姿勢で振り返りながら、国鉄改革で残された課題を述べている。全ての主張に賛同するわけではないが、自らの経験を振り返る中で、共感し類似性を感じる部分が多かった。
あらゆる組織は大きなものであればあるほど、社会的存在となり強い使命感が求められるが、先ずは、中途半端な「改革」に終わった公社「国鉄」の発足、利用者、お客さま不在こそが誤りであったと石井は言う。私の勤めた組織でも「お客さま」を「需要家」と称した時代があった。組織の縦割りとお客さまのニーズを伝えるべき地方鉄道管理局の機能不全、乗客不在と自組織優先が労使に共有されていたとの石井の主張には不思議なほど共感を覚えた。
現場ニーズや問題点の改善は、前例主義や自部門擁護のために大半が葬り去られてきたという。このようななか、唯一、国鉄として成功裏に終わったのが東海道新幹線事業であったようだ。しかし、この時代でも政治的なニーズにより公社である国鉄経営を無視した赤字ローカル線の建設が続いた。本来、国の施策であるべきものが国鉄に求められる一方、常に企業としての採算性が要求された。
当初、民間から最初で最後の総裁となった石田礼助には、東海道新幹線構想にも民間人としての懸念が存在した。彼の思想は多くの対案を比較したうえで事業を推進すべきというものであった。新幹線計画は国の施策として推進され、我国の交通史でいえば結果オーライとなったが、この体質は今も国やJRに引き継がれている。リニア計画も同じである。
現場やお客さまのニーズをいかに経営に反映させるかが石井の基本理念でもあり、単なる思い付きでは事業は成就しないし、事業体としての経験や失敗を伝えることの必要性をこんこんと伝えている。
石井は鉄道車両の技術者だが、1961年に「アンフィビアンバス」という車輛の設計を命じられている。この車両は今、話題となっているDMVである。石井は、情報が共有されないまま歴史が繰り返されることに警鐘を鳴らしている。
(2)経営危機の到来
国鉄は、巨大化した組織の中で縦割り、セクショナリズム、顧客不在の体制が続く中、クルマ社会の到来や航空機の大衆化など経営環境が激変し、鉄道輸送のシェアが右下がりになる。石井は「国鉄の常識は世間の非常識」とコメントする。私の勤めていた組織でも同じようなことが現場実務者と経営陣とで論じられる場面があった。いずれも、大企業病の症状である。
車輛技術者であった石井は国鉄型ディーゼルカーの開発と実用化で成果をあげるのだが、技術者としてリニア新幹線やフリーゲージ車両の開発に否定論を述べない者の覚悟を要求している。石井はエネルギー消費が速度の二乗に比例すること警鐘を鳴らすとともにフリーゲージ車両の可能性を否定している。鉄道車両の高速化は線路形態の改修、近代化が前提であり、車両そのものへの高速化に疑念を抱くことは理解するものの、フリーゲージ車両の開発は高速化を前提としないのならば可能ではないかとの思いはある。しかし、技術者である石井の発言は重く突き刺さる。
興味深いのは、この時代は蒸気機関からディーゼル化、電化が進むのだが、石井は電気機関車や電化の意義を評価しつつ、電化しても発電段階でのエネルギーロス(熱として放出)を考慮すればディーゼル方式の方が環境性が高いと論じている。ここは数字での検証が必要だと感じている。
国鉄「改革」の止めとなったのが労務問題であるが、ここは管理者側からの報告ということで異論も予想されるが、ここにもセクショナリズムが闊歩していた。動労の組織発足の経緯は、機関士のプライドからだというし、当局側に近いとされた鉄労は事務職がメインであったという。ただし、地方単位で濃淡の差はあったようだ。
昭和40年代に当局側は悪化する経営への危機感から生産性向上運動に着手していたが、その後、不当労働行為の認定後、労使のなれ合いが始まり職場規律が崩壊している。そして、あのスト権スト。ここで国鉄解体のトリガーが引かれた。ストを主導した多数派の国労、最も先鋭的と言われた動労は窮地に陥ってしまった。ただ、石井が記しているが、全施労(少数派組合)が取り組み、今では死語となった黄害対策は、国鉄の常識は世間の非常識を覆すものであった。初めて、列車トイレでこの姿を知った学生時代を思いおこした。
私が若き日に、顧客第一線の職員の方々に、サービス対応で官僚的と感じたことはなかったし、運賃の度重なる値上げにもかかわらず、顧客ニーズに対応した切符(フルムーンパス、青春18きっぷなど)が発売されたのもこの時期だった。また、技術現場がどうだったのかは知り得ないが、保線部門などが使命感を持って汗を流していたとも聞く。JR・OBの有識者は、この時代の方が保線はしっかりしていたと発言されている。しかし、ストは頻発していた。ストの頻発は顧客を失うだけで、特に貨物輸送は激減した。ここにも、お客様、荷主様という発想はなかった。だた、労使を問わず顧客という発想が欠落していたのは、親方日の丸という「錯誤」だけでなく、戦後の混乱期から供給力を「利用者」のために満たすという時代であったことも忘れてはならない。
(3)国鉄解体とJR発足
国鉄末期からJR発足についてまとめてみたい。結局、当事者能力を失った当局、お客さまを敵にしてしまった労働組合は分裂し、最後には「鬼の動労」のコペルニクス的転換により、JRは分割民営化されてしまう。この間、民営化はともかくとして鉄路の分割には当局内にも異論があったが、国鉄解体に反対していた田中角栄が影響力を失ったことなども影響したと考えられる。一部の方はご承知とは思うが、田中角栄は徴兵時に上官であった細井宗一(国労幹部)とのパイプがあった。ここは本書では触れていない。この2人の人間的な関係は、後の、葛西敬之と動労、松崎明とのお互いの力を利用するような関係ではなかったようだ。葛西は毒(国労)を制するために毒(松崎)を利用したに過ぎない。本件は『国商 最後のフィクサー葛西敬之』(森功著)に詳しい。
石井はJR貨物の発足に関して、貨物検討時には線路の使用比率が台数・kmベーズで15%しかなく論議がなされていないと伝えている。その後の貨物調整金(線路使用料)にアボイダブルコスト(可変費用相当)が採用された経緯につながる。
一方、極めて安定経営が期待できるJR東海が発足した経緯については記していない。NTTは東西での分割であった。また、国鉄末期の赤字額が膨大な長期債務の利子額と同額であったことにも留意すべきとの石井の声も忘れてはならない。新生JRは巨額長期債務からの開放により黒字化に至っている。戦後の復興、高度成長期の輸送力の増強という国家施策を国鉄が自らのファイナンスで担わされたという歴史は、ここで一旦、大半がリセットされることになった。
石井は本島3社と北海道、四国、九州の3島会社、JR貨物では似て異なる事業と考えていた。ここは、あの当時、多くの識者が予想したこと同じである。このようなか、石井はJR九州の初代社長に就任するのだが、近鉄の経営手法を参考に不動産事業など付帯事業に取り組み、株式の上場を果たす。本業も都市間輸送のサービス改善などで大きな成果を上げている。ただ、本書にはないが、JR九州の外人株主が半数近くに及んでいることも忘れてはならない。
分割民営化された時代に危惧された国策としての鉄道事業あり方の論議はなされないまま、私たちはコロナ禍を迎えるのである。JRは民営化されたが、時には国の意向を強いられることも多く、JRグループの全体最適やお客さまのサービスの向上を求めるものではないことも散見されてきた。
総合的な交通政策の必要性は唯一の民間出身の総裁、石田礼助が訴えていたことも忘れてはならない。大きな組織を大企業病の治療として国鉄を分割するとしても、その弊害をどう克服するか、この論議がないままに現在に至っている。
(4)石井のビジョン
先ずは、全てに賛同するわけではないが、貴重な提案として国土交通政策として論議すべきだと思う。 ビジョン全体は本書をご参考にしていただきたいのだが、私が気にかかったところは以下の部分である。
●鉄路の役割は平時だけでなく非常を視野に入れていくべき。これは必ずしも戦時という意味ではなく非常災害や今回のコロナ禍、食料自給問題ということである。JR北海道の経営問題は旅客輸送だけで論じられてきたが、北海道が極めて重要な食料の供給基地であり鉄道貨物の重要性を考えるべき。
●新幹線網の拡大、特にリニアも含む関西・東京間は、路線の経営問題を発生させる可能性が予想される。
●新幹線網と在来線の直通化、在来線の標準軌化が必要であり、特に、新幹線網を活用した貨物輸送力の強化という観点で、北海道で行うべき。
●JR北海道への支援は本州3社の納税額の1割程度を財政支援の前提とする。
●国策上、上場4社の株式を国ないし公的機関が買い取る。
●JRは全路線を一体運営できる「JR新幹線会社」を設立する。
等である。石井は多様な案を比較検討すべき、特には立ち止まって再考すべきとしている。一部で現状ありきの姿勢も示しているが、これらの石井案を国レベルで論議すべきと痛感した。
JR民営化直後は、民間的な発想で旅客輸送を中心にサービスの改善を行い、これだけ民営で変わるのかとの思いを与えてきたが、地方線に加え、コロナ禍がトリガーとなり、急激に身近な旅客サービスが悪化してきている。民間事業に過度なことは求められないことは理解するものの、石井が巻末で「国家戦略視点、戦略の再構築するところまで来ている」という発言の意味は重い。しかし、JR7社間が連携した論議は極めて少ないと感じている。
(NPO法人KOALA 池田昌博)