眞田幸昭著『アレルギーと上手につきあうためのヒント-アレルギー診療50年の余録-』を読んで/中谷 武

2024.09.02 20:07 By TK

中谷 武

Amazonの紹介文から
 アレルギー専門医による診療50年の余録。新聞や雑誌への連載や投稿を通し家庭や学校でのアレルギー対処の是非を伝える。小児慢性疾患の治療と管理に関して発信を続けている。
 1972年神戸大学医学部卒業。国立療養所や県の保健環境部などを全国各地で歴任。1997年より眞田医院を開業、院長。閉院後、丹波アレルギークリニックを開設、現・丹波アレルギー研究所所長。小児慢性疾患の治療と管理に関して発信を続けている。
出版社 ‏ : ‎ 三省堂書店/創英社
発売日 ‏ : ‎ 2024/6/24
1320円 

 著者の眞田幸昭先生は小児科医として兵庫、長野、秋田など日本各地で50年以上にわたって地域診療に携わってこられた臨床医である。山本周五郎の『赤ひげ診療譚』を読まれた方も多いと思うが、まさに本書はアレルギーと地域診療に携わってこられた現代の「赤ひげ先生」の記録である。

  1. 本書は50年以上の診療経験の中でおりに触れ発表されてきた文章をとりまとめたエッセイ集である。子どもの喘息やアレルギーだけでなく美しい自然とクラシック音楽を愛した一人の専門医の診療記録・生活記録である。専門用語は少なく叙述は具体的で分かり易い。小児喘息の鍛錬療法、子どもの予防接種、インフルエンザへの対処方法、ジェネリック医薬品の話など大変貴重な情報の他に、蓼科・八ヶ岳の高山植物、医師の年金、医師の働き方改革、さらにスイスアルプス旅行や信州コンサートの話など楽しく読むことが出来る。眞田先生はいったん診療からリタイアされた後に兵庫県に戻られコロナ拡大の中で再び現役復帰されている。「お医者さん」というのは私たち誰もが世話になる身近な存在でありながら、実はそのリアルな姿をあまりよく知らない。普段何を考えて、どのように生活をして仕事に向き合っておられるのか。日々進歩する専門の情報や技術をどうアップデートしながら、患者や学校、地域に関わっておられるのか、我々には想像も出来ない。本書を読みながら臨床医師の先生方の地道で献身的な社会貢献に改めて頭が下がる思いがした。本書は、一人の臨床医に付き添いながら医者の眼から世界を見るとどうなるかという貴重な疑似「体験記」である。

  2. まず本書の題名であるアレルギーであるが、先生は「アレルギーの問題を解決するためには、病気があっても教育や保育を健常児と平等な条件にしておくことを特に重視すべきだ」と書いておられる(「まえがき」)。実際は「それは言うは易く、行なうは難し」と感じる人が多いのではなかろうか。しかし、私は専門的なことは分からないが、これは大変重要な指摘ではなかろうか。病人は健常者と違うので病人であるが、人はそれぞれ他人と違うところが無数にある。病人と健常者の境界は誰がどう決めるのだろうか。医学の進歩によって境界の科学的な線引きが相当程度可能になったかも知れないが、境界が未だ明確でない場合、また線引きは可能でも、偏見や誤解によって今も間違って対応されている場合があるのではないか。医師、看護師等の専門家には明確でも、患者を取り巻く地域や社会の受け止めはまた別である。旧優生保護法による不妊手術の強制が憲法違反であると最高裁が判断したのは今年になってからである。らい病(ハンセン病)患者の社会復帰が可能になったのも最近のことだ。眞田先生が言われる「健常者と平等な条件にしておく」ということには深い意味があると思うが、「違い」から「区別」が生じ、「区別」がさらに「差別」に繋がる例は多いのではないだろうか。

  3. 小児科医として多くの子どもたちと接していると、病気で学校を長期に欠席せざるを得ない子どもたちの存在に悩む。学校でも学力回復に努力されているが、療養中心の生活ではなかなか難しい。勉強が遅れ、基礎学力の修得も困難になり、それが症状や態度に現れてくる。しかし、高校入試や進路問題は容赦なく子どもたちに襲いかかる。小児慢性病棟で眞田先生はそういう子どもたちに院内塾というプレハブ造りの学習塾をつくった経験が紹介されている(院内塾奮戦記p.104)。早朝から深夜まで、診療時間と学校の授業時間を除く時間を院内塾に充てて、子ども一人一人に寄り添う取り組みである。子ども一人一人の状況に応じた問題を眞田先生ご自身が考えて、やらせて、教えて、解説していく。3週間という短い期間に子どもたちの眼が輝きだし、言葉遣いや態度も変わってきたと看護師さんが気づくような変化が起こったという。「子どもたちは、表面上、どういう態度をとるにせよ、勉強が分かりたいと願っている。」これを読んで、教育のエッセンスが語られていると思った。私も神戸大学を辞めた後に勤めた私学で少人数の演習を担当したことがある。10人程度と人数が少なかったので、一人一人のレポートを丁寧に読んでコメントを書き込んで、翌週返却しながらその一部を紹介して皆の前で褒めた。それまで学生はレポートを書いても人数が多いので先生から返事をもらえないのが普通だった。効果はすぐに現れた。次の週から、学生のレポートの分量が増え、内容も格段に良くなった。しかも一人一人が良く考えて自分自身の意見を書いている。少人数だから出来たことではあったが、教育が双方向のコミュニケーションだと実感した経験だった。眞田先生の院内塾は、治療と学力向上とを切り離す発想からは絶対に生まれなかった。病状も学力も同じ一人の子どもの中で生じている。専門家の立場からは別々の現象であっても、生身の子どもの中では切り離せない事柄であり、そういう子供や学生を相手にしている点で医師も教師も同じだと感じた。

  4. 本書を読んで印象深いのはたくさんの人との出会いが丁寧に描かれ、それに対する感謝が述べられていることだ。「新型コロナと差別」(p.114)ではコロナに関わってきた医療関係者や運送業の家族に対する差別が生じたことが述べられている。神戸で、コロナに感染した患者を診療した医療機関の子どもが「コロナ病院の子」といじめを受けた。また首都圏では医療崩壊の中で妊娠中の看護師さんがPCR検査に立ち会わざるを得なかった。産後2ヶ月で人手不足のために出勤を余儀なくされた検査技師もいる。感染の危険を感じながら、患者のため、社会のため、家族や自分の時間を割いて働いておられる方は枚挙にいとまが無い。眞田先生はこのような事例を紹介して、外出自粛に伴って増えている宅急便を受け取るとき、せめて我々はひとこと「ありがとう」と言ってみましょう、と控えめに言っておられる。
     私たちは一人一人自立して生きていると思っている。しかし実はこれは間違いだ。完全に自立して生きている人などどこにもいない。経済学で最初に学ぶ概念に「分業」(division of labor)がある。人々が生きていくためには無数の財サービスが必要だが、その財サービスの生産にはたくさんの原材料とその輸送が必要で、そのためには、また・・・と順に遡っていくと一人の人間が生きていくために、実は地球上の広い範囲の人々の労働が投入されていることに気づく。これは大袈裟な話では無く、また難しい話でもない。コメの生産にはトラクターが必要で、そのトラクターを動かすには中東の石油から作ったガソリンが不可欠で、その石油を生産するには・・・と考えれば分かる。つまり一人の人間の生活は世界中の多くの人々の労働によって支えられている。逆もまた真である。持ちつ持たれつ、これをアダム・スミスは「分業」という概念で示した。分業を支える人々の労働に本来優劣はなく、どのひとつが欠けても社会は成り立たない。しかし今の社会はいつの間にか、これは良い仕事、これはつまらない仕事、これは重要な仕事、こういう評価付けするようになった。我々は再び原点に立ち返って労働に対するリスペクトを復活させるべきではないだろうか。

  5. 政治と音楽について、私の知らない沢山のことが述べられている。2年ほど前、ロシア最高の指揮者ゲルギエフがニューヨークフィル公演の指揮者を降板になった(2022年2月)。最近、ウクライナ政府がトルストイの「戦争と平和」の文章を学校の教科書から削除したという。さらに遡れば、ナポレオンのロシア侵攻のなかで書かれたチャイコフスキーの「序曲 1812年」、スペインのフランコ政権に反対して亡命したパブロ・カザルスの話、さらにフルトベングラー(ベルリン・フィル)がナチに協力していたとして戦後一時期干されていたことなど、「芸術と政治」は永遠のテーマである。アスペルガー症候群で名前ぐらいは知っているアスペルガー博士のぞっとするような話も出てくる。
     ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ爆撃で理不尽な国際法違反、人権侵害が進行中の世界で、我々が知らない、知らされていない事実が沢山あるに違いない。知ることの重要性を痛感した。

    本書はAmazonや楽天のネット販売でも簡単に手に入る。ぜひ皆さんの一読を勧めたい。
中谷 武

TK