
緑の絨毯を360°敷き詰めたようなアマゾンの熱帯林。1992年、最初にこの光景をセスナ機から見た時は、緑の脅威さえ感じた。それから15年経った現在、急激なスピードでこの森が消えている。アマゾンの熱帯林はここ数年、年間約26,000平方キロメートル(東京都の12倍)という広大な面積が消失している。
そもそもポルトガル人がブラジルという国を命名した約500年前までは、インディオと呼ばれる先住民だけがこの地に暮していた。彼等は約15,000年前に、遥々アジアからベーリング海峡を渡り南米大陸に辿り着いたと聞く。当時は1,000万とも言われた人口が今や、34万に減少してしまった。ブラジルの繁栄はインディオの命が礎になっている。彼等は自然の摂理に従い生存し、必要以上の発展を望まずに「足る事を知る」知的な人種だと判断する。
私たちの支援対象地域であるシングーエリア18万kuはブラジル政府が正式に承認した先住民居住国立公園だが、未だ電気、ガス、水道はおろか貨幣も集落内では使われておらず、文字も無く、口頭で独自の伝統文化を継承している。生活形態はいたってシンプルで、狩猟採集を主としている。自殺、殺人、ノイローゼ、アトピー、差別、いじめ、認知症、寝たきりのお年寄りも皆無だ。90歳近くても白髪や禿げている人は殆どいない。医者の代わりである呪術師が、森に群生する薬草の用途を熟知しているので、植物に宿る精霊の助言を受け、病に対応している。この地では完璧なまでに集団と個の信頼関係が確立し、自然の法則をおかすこと無く時が流れて行く。
しかし近年この周辺で急激に開発が進み、この地域はまるで陸の孤島のような存在になってしまった。加えて本来不法に侵入することを禁じているにもかかわらず、この地域に群生する野生植物の乱伐が密猟者によって後を絶たない。特に良質なマホガニーは高級家具材として、先進国の需要が多いために命がけで盗伐する輩が続出している。熱帯林では生物が一種でも絶滅の危機に瀕すると、他にも影響し、生態系が崩れる。
国立公園に隣接する伐採地
やがて燃やされる畑と牧場が造営されている。
国立公園の境界線ギリギリまで森が消えつつあるが、その多くは大豆畑、サトウキビ畑、トウモロコシ畑と牧場造成などに様変わりしている。日本人に馴染みが深い食材である大豆は、日本国内での生産は5%しかなく、大部分は輸入に頼っているわけだが、アマゾンの森を焼き、大豆畑にし、収穫したものが豆腐や納豆、醤油になり日本人の胃袋を満たしている図式が見える。また加工した鶏肉など80%をブラジルから輸入しているが、この鶏の飼料は大豆の殻なので、日本人の多くは、結果的にアマゾンの森を燃やすことに加担しているといっても過言ではない。
わが国では昨年から石油の代替燃料として、二酸化炭素を排出しないエタノールが注目を集め、既に販売している所もあるようだが、実はこのエタノールの原料はトウモロコシやサトウキビなので、これもまたアマゾンの森を燃やす結果となり、現在ブラジルで、この森焼きの際に排出される二酸化炭素量がブラジル国内の総排出量の80%になり、深刻な問題となっている。2010年から日本商社とブラジル企業が協力し、エタノールの輸入を本格的に開始するが、確かに日本国内においてはエコ燃料かもしれないが、国境を取り払って考えてみると、この星にとっての二酸化炭素の総排出量は増加することになる。他国のご迷惑を省みずに、環境にやさしいと短絡的に判断することにはちょっと疑問を感じる。これではエコ燃料ではなくエゴ燃料になるのではないか?
地球温暖化を始めとして、世界中あらゆる所で自然現象に異変が起こっているが、これは明らかに人為的な問題が原因であり、地球が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、先進国に暮す人々が経済優先の論理にもとづき、物質的に便利で豊かな暮しを押し進めてきた結果といえる。この星に命頂く全ての生物が、存続の危機に立たされている現在、個々の生き方の選択がこの星の将来を大きく左右するだろう。
インディオの暮しに使われる物は食材を含め、手元に至るルートが明確にわかる。われわれも、少なくとも、身の回りの物がどのようなプロセスを経て、自分のところに辿り着くのかをチェックしてみよう。人類は決して万物の霊長ではなく、自然に対して、畏敬の念を持ち、驕ることなく、感謝と謙虚の心なくしては、この地では生きていけないことを、真摯に受け止めなければならないだろう。
1989年、イギリスの歌手スティングが「アマゾンを守ろう」ツアーで来日した際に同行したアマゾン先住民のリーダー、ラオーニとの出会いを機に「熱帯森林保護団体」を設立した。以来18年間、21回延べ2000日余りをアマゾンのジャングルで過ごし、自然の素晴らしさも怖さも沢山体験したが、この地で暮すインディオの生き方にこそ、人類の未来を照らす道を探せるのではないかと、私は確信する。

2002年に発表した「新・生物多様性国家戦略」の中で、環境省は多様性保全に対する3つの脅威を指摘した。その第1は人間の活動によって動植物の生息数が減少したり生態系が破壊されるものだ。たくさん生息しながら、ふとん用の羽をとるために乱獲されて絶滅寸前まで追いやられたアホウドリが良い例だ。「島全体が鳥で埋まり、鳥が飛び立つと島が空中に舞い上がるようだった」と漂流記で有名なジョン万次郎が言っている。そのアホウドリがあと一歩で絶滅というところまで追いやられたのである。
しかし第1の脅威には、期せずして結果的にそうなってしまう、というケースもある。漁業による海鳥の
私たち日本人が好物とする寿司、その代表的なネタであるマグロは主に延縄漁で捕獲する。長いもので100kmにおよぶ幹縄に2000本、3000本もの釣り針を付けて海に流す。広い海に分散して住んでいるマグロなどの魚を獲るには適した方法といわれる。
ワタリアホウドリ
提供:バードライフ・インターナショナル
三陸海岸でも、観光船にウミネコなどのカモメ類が集まり餌をねだる光景が知られている。延縄漁では30cmものイカなどを餌として利用するため、それを覚えた海鳥が漁船に群れ集まり、操業で延縄が投入されると争って餌を食べるのである。餌にはマグロ用の大きな釣り針が仕掛けてあり、海鳥は針にかかって延縄と一緒に海中へと没するのだ。こうして犠牲になるアホウドリ類は毎年、実に30万羽にのぼると推定される。
混獲問題が指摘されたのは1980年代であった。チリ沖や南極海で行われるアイナメ漁で多数の海鳥が混獲されることが分かり、南極海洋生物資源保存条約(CCAMLR)で取り上げられたのである。その後、延縄漁では多数のアホウドリ類も混獲されている実態が分かり、鳥類保護・環境NGOの国際ネットワークであるバードライフ・インターナショナルBirdLife Internationalは、2000年に「Save the Albatross Campaign(アホウドリを守ろう)」活動をスタートさせた。アホウドリに新たな脅威が生まれていることが分かったからだ。
クジラ問題で苦汁をなめてきた水産庁など日本の水産界は敏感に反応した。静岡県清水にある遠洋水産研究所の混獲生物研究室ではさまざまな防止方法を検討し成果を挙げ、責任あるまぐろ漁業推進機構(OPRT)では、防止方法の普及に努めている。
ねむり針(右)
針の先端を内方向に曲げてある.
主な混獲防止の方法には次のようなものがある。
混獲で問題となるのは海鳥とウミガメだ。漁労作業中に防止対策も行わなければならないが、1〜3の方法は海鳥に、4はウミガメの混獲防止に有効であった。特に鳥ポールは日本の漁業者が開発した方法で、日本名がそのまま各国で通用するくらいである。
バードライフでは海鳥減少の2大原因は漁業による混獲と繁殖地の攪乱と考えている。そして、この2つの原因により海鳥の減少率は、鳥類の中で最も激しいものとなっている。2005年7月、日米の漁業者が中心となって2年ごとに開く国際漁業者フォーラム(IFF)が横浜で開催された。会議にはバードライフも参加を認められ、サメも含めた混獲防止の熱心な話し合いに加わった。漁業者が混獲問題に取り組むのは、延縄の餌を海鳥に盗られてしまうことは漁業者も困るからである。
日本の漁業はクジラ問題を抱えている。どんなに科学的なデータを示しても、捕鯨反対派には政治的、社会的に押し切られてしまう。それに加え海鳥の混獲問題だから、水産関係者が極めて慎重なのは良く分かった。しかし、ただ慎重にすれば問題を回避できるわけではない。むしろ、そのような対応が問題を難しくするのだ。鳥ポールはじめ、日本の取り組みをもっとアピールする必要があるだろう。バードライフは漁業者と環境グループの橋渡し役だ。
IFF横浜会議に向けて作成されたDVDは、混獲防止に取り組む日本を紹介したカラーで美しいものであった。混獲の防止対策もなかなか良い。しかし、作成されたのは日本語版だけ。英語版や中国語版、スペイン語版を作り台湾、南アフリカ、中南米など、混獲対策がこれからの国々を積極的に支援すべきだと提案したが実現しなかった。日本の漁船には混獲防止対策をしましたから、あとは知りませんと他人事を決め込むのではなく、日本こそ先頭にたって世界の海鳥混獲の問題解決に取り組むべきだと思う。未解決の問題は山積している。DVD作成はその一部に過ぎない。混獲をする船は海外船籍だといっても、日本が資本参加している場合もあるし、獲れたマグロの相当部分は日本に来るのだから。

私は、「持続可能な発展と環境保護」という主題で去る8月24日に北京で開催された第3回中日産業経済フォーラム(中国企業連合会・中国企業家協会および日本国立大学法人一橋大学・みずほフィナンシャルグループ・みずほコーポレート銀行主催)に出席し、「日本の経済発展と環境保護」というテーマで基調講演を行った。
その日の朝、目にした新聞(『人民日報』中国語および英語の海外版)でこのフォーラムの主題に関連した次のような三つの記事に気づいた。一つは、アメリカにとっての輸出先として中国が本年末あるいは来年の早い時期に日本を抜き、カナダ、メキシコに次ぐ第3位に浮上するだろうという記事であった。過去5年間のアメリカの対中輸出は年24%という驚異的な率で伸びており、2006年には1979年の100倍に達しているという。中国はこれまでに622機のボーイング航空機を輸入しており、それは中国の民間航空機の総能力の60%に当る。また中国はアメリカの大豆および棉花の輸出のそれぞれ38%、46%を占める最大の輸出先である。
第二の記事は、上海の総合株価指数が、私が北京に着いた8月23日に、1990年12月に100ポイント(出来高50万元)で発足して以来初めて5000ポイントを突破し、5032.49ポイント(出来高1530億元)をつけたというものである。私はその3ヵ月ばかり前の5月10日から約1週間、顧問教授を務める上海財経大学の招きで上海に滞在したが、たまたま私が上海に到着した5月10日の前日の9日に同指数は初めて4000ポイントを突破しているから、偶然私の2回の訪中の間隔約100日の間1000ポイント上昇という急騰ぶりであった。
なお同指数は1990年12月19日に100ポイントでスタートし、06年11月20日に2000ポイント(00年に1度つけたものを回復)、06年12月26日に初めて2500ポイント、07年2月16日に初めて3000ポイントをつけているから、僅か9ヵ月余りで3000ポイントも上げるという熱狂的な市場であったといえる。
水面を水生ヒヤシンスで被われた
安徽省安慶市の蓮湖風景区の一部
『人民日報』(海外版)2007年8月24日.
以上二つの記事は中国の目を見張るような経済発展に関するものであるが、あと一つは環境に関する小さな記事であった。それは安徽省安慶市の蓮湖風景区で湖の水面の半分以上が水生ヒヤシンスで覆われてしまい、ボートも漕ぐことが困難になっているという写真のついた記事であった。高気温続きと降雨不足がその原因ということであり、中国の環境問題の一端を垣間見る感じであった。
なお、私が北京に着いた日は、北京市内の交通問題緩和のために日付けの偶奇にあわせて自動車のプレート・ナンバーの偶奇によって走行を許可するということがちょうど実験されていた期間であり、そのためであろうが空港から都市のホテルまではあまり渋滞することがなかった。
今回のフォーラムの中国側の基調講演者は国家発展和改革委員会副秘書長の楊偉民氏、講演のテーマは「主要機能区域の形成を推進し、調和のとれた持続発展可能な社会を構築する」であり、その内容は以下のように中国政府の経済発展戦略の概要を述べるものであった。
中国の経済発展を1978年〜2006年の期間についてみると、年平均成長率はGDP 9.7%、財政収入13.4%、輸出入総額17.2%という驚異的な高さである。その推進力は、国内外の需要面では外需、内需面では投資、産業構造面では工業、投入要素面ではエネルギー等の資源消費であった。しかし、中国政府はこの成長方式は持続不可能であるという認識の下に経済発展方式の転換を目指し、「六个立足」(六つの立脚)という方針を定めた。すなわち、内需の拡大、産業構造の調整、資源節約と環境保護、自主開発能力の増強、改革開放の深化、人の主体化である。
このように、環境保護が資源節約とあわせて「六つの立脚」の一つとされていることは、中国の指導者層が長期的視点を持って環境・資源問題の重要性を認識していることを示している。
本稿執筆直後の10月15日に中国共産党の第17回党大会が北京の人民大会堂で開幕した。胡錦涛総書記(国家主席)は、今後5年間の党および国家運営の基本となる活動報告で、中国の経済力は大幅に向上し、人民の生活は著しく改善されたと経済成長の成果に胸を張ったが、同時にそのために支払った資源と環境の代償はあまりにも大きかったと認め、資源の節約や環境の保護の重要性にも言及した。そして、経済成長至上主義から脱却し、持続可能な発展への転換と、「和諧社会」(調和のとれた社会)の構築を目指すとする「科学的発展観」を「重要な戦略思想」として提唱した。特に環境問題に関しては「世界の気候改善に新しい貢献を行う」と明言している。
奇しくもこの15日に、上げ足を速めていた上海総合株価指数が初めて6000の大台を突破して6030.09をつけ、胡錦涛「報告に花を添えた」と朝日新聞10月16日朝刊は伝えた。

ちょうど10年前、地球温暖化防止のための京都議定書が採択された。当時の私は、環境庁担当で、温暖化をめぐる国際交渉を取材した。
その翌年の1998年夏から1年間、北極圏の米アラスカ州立大フェアバンクス校に留学した。アラスカを選んだ理由は、学生時代にオーロラを研究していたこともあるが、極地は地球全体より気温上昇率が10倍大きく、温暖化の影響が現れやすい地域と考えられているからだ。また、米国は、世界最大の二酸化炭素排出国であり、どんな国なのか知りたいとの思いもあった。
まず、温暖化の影響がなぜ極地に現れやすいのかを説明したい。白い氷や雪は太陽光を反射し熱を蓄えにくい。だが、何らかの理由で溶けると、黒い土が現れ熱を蓄え、さらに周辺の氷や雪を溶かすという反応が連続するからだ。
アラスカ滞在中、北極海を覆う海氷が減少している研究を取材した。高齢のアラスカ住民から「子供のころ、家のそばから氷河が見えたのに、今では遠い存在」という声も聞いた。時々刻々の環境の変化を実感したが、同時に事は単純ではないことも分かった。
例えば、温暖化で永久凍土の温度が上昇して溶解し、その上に建つ住宅が壊れたことが新聞などで紹介される。私は留学中の終盤、一軒家を借りた。その家は永久凍土の溶解で傾いていたが、溶けた場所は台所や風呂の熱源付近である。環境NGOは「そもそも、温暖化で、永久凍土の温度が溶解付近にまで上昇していたのが問題」と主張するが、温暖化だけが原因ではないのも事実だろう。それに、2000年ごろから温度上昇は止まっている。
また、氷河が海に崩落する光景がよく紹介される。アラスカ大の研究者によれば、氷河は「氷の河」であって、上流から押し流され、崩落するのは当然である。氷河の後退は二酸化炭素の大気中濃度が急増する前の1800年代から始まっている。
一方、南極ではラーセンB棚氷が崩落したと米航空宇宙局が2002年に発表した。温暖化との関連で注目されたが、今年公表された国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は「(南極)地域全体で平均すると昇温は認められない」と指摘した。日本の国立極地研究所発行の「極地研ニュース」(2007年6月号)で、山内恭教授は昭和基地50年の観測から「10年間で0.08度上昇しているが、年々の変動幅が大きく、上昇傾向とは言えない」と書いた。
温暖化は複雑で、地球の将来を予測することは難しい。しかし、それは当然であって、著名な物理学者ケルヴィンの「空気より重い、空飛ぶ機械は不可能である」(1895年)、ワトソンIBM会長の「コンピュータの市場は世界的に見てたぶん5台ぐらいだろう」(1943年)、などの発言をみても、知識人や先駆者ですら未来を見誤ってきた。
それでも、私は「温暖化が起きていることに疑う余地はない。20世紀後半の温度上昇は人為起源の温室効果ガスの増加による可能性が高い」とするIPCCの指摘を重大に受け止めている。事態が深刻化してからの解決が難しいことは、公害など歴史が物語っている。また、エネルギーの観点からも温暖化防止は必須の取り組みだ。
人為的な温暖化は、石油や石炭などの化石燃料を消費して生じた二酸化炭素が大気中に放出されるのが最大の原因だ。エネルギー効率の改善とエネルギー消費量の抑制は温暖化防止にとって重要である。温暖化対策のモデル国、ドイツのメルケル首相は8月の来日時に大胆な政策を発表した。その一つが、賃貸住宅で断熱工事などの省エネ策が講じられない場合、家主が住人の暖房費を一部肩代わりしなければならない制度である。
なぜここまで取り組むのか。ドイツは2002年4月の改正原子力法で新規の原発建設を中止し、既設の原発も一定期限後廃止することにした。原発は発電段階で二酸化炭素を排出しないが、ドイツは長年の議論を踏まえ、エネルギー源としてあてにしないことを決めている。また、石油が安定して確保できるかも危うい。原発や石油の代わりに、太陽光や風力などのエネルギーで経済活動を維持するのが本当の狙いだろう。環境の重要性を訴えることで、環境ビジネスの世界展開をもくろんではいないか。環境政策の強化は国益である。
日本は石油や石炭が乏しい。中国の急激な成長を考えれば、今の値段で石油を輸入できなくなるのは遠い先のことではない。国内世論をみれば、原発の新設は難しい。放射性廃棄物の処理問題も未解決である。と、なれば、新しいエネルギー源を模索しなければならない。
日本はよく省エネ先進国であり、これ以上の削減は困難として、「乾いた雑巾を絞る」という表現でたとえられる。しかし、多すぎる自動販売機、利きすぎた冷房と派手な照明、便利な生活と言うより、無駄な消費ではないか。中国人1人当たりの二酸化炭素排出量は日本人の4割、米国人の2割である。産業界を中心にした「できない、できない」という姿勢では、できるものもできない。国民の間で温暖化への関心が高まっている今こそ、新たな知恵をみんなで練りたい。

日本中がバブルに沸いているころ、私は田舎の小さな塗料販売会社でありながら、上場を夢見て社員の尻をたたきつつ、毎年20%の売上増を目指していました。でも夢と現実の差は大きく、社員は定着せず逆に求人に追いまくられ、とても目標達成は難しい日日が続くうち、人間関係もギクシャクしてきて次第に頭も回らなくなり、欝状態で眠れぬ夜を過ごすことになってしまいました。売上を毎年拡大させることの重圧と、私や家族の幸せと、社員やお客様の幸せとの一致、わが社さえ良ければ、お金が一番、という価値観で本当に良いのか、と、深いところでの自問自答が続きました。
一年半以上経過してどうやら欝も最悪期を脱したころ、地球環境問題をわかりやすく伝えるNPO法人「ネットワーク地球村」代表の高木善之さんや、東南アジアの青年たちに農業技術を教える研修センターを建設された愛知県の石川皓英さんなどとの出会いがあり、私は今の価値観を確立したように思います―1992年、48歳でした。
経済成長することは限りある地球の資源を早く使い切り、これから続いてくる私の子孫が利用する分を残せない、早く多く消費することは、早く汚すことだと腹から理解できていましたから、1993年12月の経営計画発表会で「私たちの仕事は地球を美しくすることです」の基本理念を定めました。1995年の発表会では、[売上を毎年8%削減する計画と、GESM(Gaia Environment Satisfaction Management, 母なる地球環境に満足してもらえる経営)の考えを、メインバンクの支店長も招いて発表しました。売上を毎年拡大させる、効率一辺倒、エゴ丸出し、お金こそ命、が一番良いことだとする資本主義のままでは、すべての生物が一番大事にしなければならない地球環境にとって悪いことばかり起きて永続可能な社会にはなりえないとの私の思いの発露でした。社員は内容が理解できなかったのかあまり反応はありませんでしたが、流石に支店長には、この計画では倒産に向かうので困りますと言われました。売上減よりも経費削減のスピードが早ければ、利益は計画的に確保されると考えていましたので、何回か説明しましたが釈然としないようす。まあ暫く様子をみましょう、ということで取り敢えず一件落着。
お客様のお役に立つことが企業としての存続目的ですから、勿論みんなでお客様のお役に立つ御用達にも精出していますので、計画通りにはなかなか減りません。しかしノルマはマイナスですから、社員の居心地も良いようで辞める社員はいなくなりました。
96年にISO14000シリーズが発表され、わが社でも取得したいと考えましたが、零細企業で人材もなく、費用もかかると躊躇していたところ、営業部長が先頭に立ちましょう、と、97年8月にキックオフ。ISOのコンサルタントも、まだ取得まで指導した例がなく、二人三脚で一緒に勉強し苦労したお陰で、社員全体が深く理解するようになりました。16人規模の零細会社では、取得に専任の社員を貼り付けると、その分は他の社員がカバーしなければならず、勉強会も全員が関わらないと進みません。しかし、みんなが必死に勉強してくれました。
そのお陰で、社員一人一人がISO,地球環境の問題点、対処の仕方が腑に落ちたようです。わが社では、社長は方向を決めてお金を出す人、社員が実行役との認識ができていますので、ISOのPlan-Do-Check-Actionのサイクルはほとんど社員が自主的に回しています。省エネのため冷房を切ろうと決定すると、自分たちで決めたことですからいくら暑くてもきっちり実行してくれます。ゼロエミッションは達成していますし、天水のトイレへの利用や電気使用量の80%削減、BDF燃料の車も4台になり、今年度中には炭酸ガス40%削減宣言を出そうかというところまできました。社員みんなが「経費を削減することが地球環境にとって良いことになる」と認識していますので、不要な電気はすぐ消す、事務機や車のメンテナンスや修理を早めに行い買替えのサイクルを延ばすなどして、毎年必死に経費削減を進めてくれて、必要経費が年間1500万円程度減っています。売上を減らしても利益は減らない仕組みはここにあります。まさにISO14001でPDCAを回すということが社員教育にもなっていて、わが社は安心して売上を削減でき、大量生産、大量廃棄で幸せを目指す資本主義からの呪縛、経済至上、無限大の利益の追求という巨大宗教にも似た狂信や幻想から逃げ出せたのです。
年々地球温暖化が目に見えるようになってきてしまいました。今年の夏は熱中症で亡くなられる人が120人にもなり、まさに命懸けで夏を越えなければなりません。世界中で、片方で大洪水、片方では大旱魃と、極端から極端に振れています。オーストラリアの旱魃で小麦の収穫が激減し、日本でもパンや麺類などの値上げが始まっており、EUは食糧輸入を確保するために、穀物の関税をゼロにするなど、国際的な食糧の奪い合いも始まっています。穀物自給率28%の日本の食糧安全保障には黄信号がともっています。
社員の幸せの量(Gross Company Happiness)を増やすことを目標とする向山塗料では、会社の近くに400坪の畑を借りて一人一人が土と親しみ野菜をつくることを奨励しています。週に4日働いて3日休みをとり半農半塗料販売をし、出来れば自給自足をしながら会社を維持することを理想としています。元社長の私が白州町に五風十雨農場という衣食住やエネルギーの自給自足を目指した農場を始めたのも、この延長線上にあります。

私は三陸リアス式海岸の気仙沼湾でカキ養殖業を営む一漁民である。親父の代からの生業で私が二代目、今三代目の息子が跡を継いでいる。四代目を継ぐべく孫も生まれた。昨年創業60年になったので孫の代になると家業が100年続くことになる。
養殖業と言っても魚の養殖と違い、餌や肥料をやる訳ではない。呼吸で吸い込む海水の中に植物プランクトンが繁殖していて、それを鰓で漉して食べているのだ。餌を与える必要のない代わり、養殖筏の浮いている海の環境が悪くなるとたちまち成育に障害が現れる。
カキの産地の条件に共通することは、淡水と海水の混じり合う河口の海(汽水域)に漁場が形成されているということである。全国一の生産地である広島湾には太田川、第二位の仙台湾には北上川という大河が注いでいる。
リアス式海岸の意味もまた学校の授業では説明不足である。ギザギザに入り組んだ海岸で、沖合から波が入らず海が静かなので、筏を浮かべてカキや真珠の養殖が盛んだと教えている。リアス式のリアとはスペイン語で「潮入り川」を意味し、元々川が削った谷に海が後から入り込んだ地形なのである。リアの語源はリオ(川)で、必ず湾奥から河川水が流入している。湾に注ぐ川を遡れば森である。つまり森林の腐葉土を通ってきた河川水の中に、海の生物生産の基となる植物プランクトンを増やす養分が含まれているのである。因みにスペインのガリシア地方は「湿ったスペイン」と呼ばれ雨が多く、リアス式海岸の背後は、昔はロブレと呼ばれるの木(落葉広葉樹)に覆われていた。
気仙沼湾でカキの養殖を営む漁民達がそのことに気がつき、湾に注ぐ大川上流の室根山に、平成元年から広葉樹の植林を開始した。名付けて「森は海の恋人」運動―今年で19年になり、ナラ、ブナ、ヤマザクラ等40種の落葉広葉樹三万本を植え、「カキの森」と名付けた。植林と同時に大川流域の学校の子供たちを海に招き、体験学習を続けている。流域には人間の生活が拡がっており、河川水が注ぐ海まで視野に入れた生活をしてもらうことが重要だと気がついたのである。森、川、海を一つの系として捉えることや、その系の中で生きる人間はどんな存在なのかを、漁民の側から説明するのである。
体験学習に訪れた子供の数は今年で一万人を超えた。赤潮が発生して汚れた時期もあった気仙沼湾だが、6〜7年前から海が復活している手応えがあった。しばらく姿を消していたメバル、スズキなどが現れてきたからである。しかし、私が最も心待ちにしていた魚がある。これさえ現れればしめたものと思っていた。
それはウナギである。川と海を往き来する魚の代表サケは、秋口に川を遡り産卵し、翌春には稚魚は北の海に旅立ち、一生のほとんどを海で過ごすのだ。ところがウナギは逆である。遙か日本から二千キロ離れたフィリッピン近くの海で産卵し、シラスウナギになって黒潮に乗って日本に近づき川を遡る。川で5年から10年過ごして成魚となり、再び南の海に旅立つ。つまり、ウナギはその一生の殆どを川で過ごすのである。川がきれいにならなければウナギは戻らない。2〜3年前から少し姿を見せていたが、今年になってアナゴ漁の仕掛けで急に捕れ出したのである。ウナギが姿を消して40年近くの歳月が過ぎていた。感無量である。
大川上流の室根村の小学生たちが体験学習に来て感想文を送ってくれる。今まで川の上流に住んでいて海のことなんか考えたことがなかった。でも海を訪れて森と川と海は一つのものだとわかった。日常の生活の中で、「朝シャンで使うシャンプーの量を半分にしました。お父さんには、農薬をほんの少しでいいからへらすようにおねがいしました」等と書かれているのである。
森は海の恋人運動は、人の心に木を植える運動でもあった。
河川水が海の生物生産とどう関わっているのかという研究は、不思議なことに殆んど手つかずの分野である。行政システムが縦割りであり、その弊害が指摘されているが、大学の研究もそうであったとは驚きであった。宮城県内の東北大学を始め捜してみたのだが見当たらない。偶然にも北海道大学水産学部松永勝彦教授(現四日市大学教授)と巡り合った。日本で唯一と思われる陸域と海域をつなぐ物質の研究をしておられたのである。
キーワードは鉄分の存在であるという。人間の血液のヘモグロビンの中心元素は鉄であり、酸素を運ぶ役割をしている。では植物ではどんな役割をしているのだろうか。海中では窒素は硝酸塩、リンは燐酸塩として存在している。植物プランクトンが体内に取り込む時、これ等を還元しなければならない。還元酵素がその役割を果たすが、その化学作用がスムーズに行くには、少量の鉄分が不可欠である。つまり、鉄分が無ければ植物は養分を吸収できないのである。
なぜ海中に鉄分が不足しているかと言うと地球誕生の歴史を遡らなければならない。原初の海に溶け込んでいた成分の中では鉄分が最も多かったと言われる。当時は酸素が存在しないので鉄分はイオンの状態で溶けていたのである。やがて、光合成生物が出現し、海中に酸素の放出を開始した。鉄分は酸化され粒子となって海底に沈降し、15億年かかって海中から鉄分は取り除かれてしまったのだという。
1988年、アメリカ、モスランディング海洋研のジョン・マーチンが「鉄仮説」を発表した。南極海、赤道付近、アラスカ海など、栄養塩が深層海流の湧昇によって豊かなのに植物プランクトンの大発生が起こらないことは長年の謎であり、「南極パラドックス」と呼ばれていた。解明が遅れた原因は、海水中の超微量金属の分析技術が開発されていなかったからである。マーチンはその開発に成功し、その結果「高栄養塩―低クロロフィル(HNLC)海域」には鉄分が不足していることを突きとめたのである。更に南極の氷柱の分析により、氷河期にはオーストラリア大陸から大量のちりが南極海に供給されていたことも確認したのである。
世界の鉄鉱石の3分の1が存在するというハマーズレー鉱山はオーストラリアにあり、鉄の大陸なのである。マーチンの計算では南極海にわずか30万トンタンカー半分の鉄を供給すると、世界で排出される二酸化炭素の半分が固定化されるという。1988年1月28日号『ネイチャー』に発表された鉄仮説は大きな反響を呼び、温暖化問題解決の有力な選択肢となった。松永先生は立命館大学化学科の出身で、微量金属の分析が専門である。海水中の水銀の量を世界で最も正確に計算し、『ネイチャー』に二回掲載された。勿論鉄分の研究をされていた。しかし、日本の大学では外海での研究の予算がつかず、海岸域での研究を始めたのである。河川水が流入している汽水域で植物プランクトンの発生が多いことは知られており、好漁場となっている。
沿岸域の鉄分の供給源はどこか。研究の結果、森林がその役割をしていることが判明したのだ。森林の腐葉土が形成される時、フミン酸という成分が出来る。フミン酸は、岩石、土中の鉄分を水に溶かす役目をする。フルボ酸という成分も生まれる。フルボ酸は、鉄分との相性がよく、鉄と結合してフルボ酸鉄になる。この形は、植物プランクトンが吸収できる形であり、河川水中で酸素と出合っても酸化されることがなく海に供給されるのである。
「森は海の恋人」の科学的な根拠が解明されたのだ。
平成5年から気仙沼湾の生物生産と河川水との関わりについて調査していただいたが、約20億円の生産額の9割方は、大川の河川水が養分を供給していることが判明したのである。

ビオトープとは「生きものの生息空間」のことである(Biotop独)。水辺、草原、里山など、同じような環境に暮らす植物や菌類・動物・微生物などいろいろな生きものと、それらが住む環境すべてをひとまとめにして「ビオトープ」と呼ぶ。都市開発などで破壊された環境の再生や、失われた身近な生態系の復元、環境教育の場の提供、地域ごとの絶滅危惧種の保護など、生物多様性の保全について大切な役割を担うことが期待されている。日本には1990年代からこうした考え方が紹介され、関西では阪神大震災をきっかけとして、小学校などで子どもたちの環境教育や地域の交流の場として普及し始めた。里山での生活に代表されるように、自然や生態系の構成者である“いのち”からの恩恵を受けて暮してきた日本人は、高度成長時代からの急激な都市化に伴い、身近な自然環境と引き替えに生活の利便性を得た。
今、温暖化対策としてのCO2の削減、省エネルギー・省資源、ゴミ、リサイクル等が環境問題としてクローズアップされている。しかし、生きものとのふれ合いや共生こそが人間の生きていく環境の重要な要素であることを、まちなかや工場施設、ビルの屋上などでミニ生態系の再生・創出を行うことによって実感してもらい、ひいては、本来の生命の循環を守ることが、環境改善に繋がることを理解してもらいたいと、われわれはいろいろな形の活動を展開している。
ここで紹介する、社会福祉法人南山城学園障害者支援施設〈和(なごみ)〉の屋上ビオトープづくりは、生きものとの触れ合いが療法の効果と環境改善をもたらすという興味深い可能性を秘めたひとつの事例である。
職員のビオトープ研修
ここは、京都府南部の木津川に面した右岸丘陵に1999年に開設された知的障害者のための入所施設で約80名の利用者が暮している。敷地はもともと果樹園や畑、竹やぶ、雑木林など緑豊かな環境に囲まれていたが、近年は周囲が山砂利の採取地となり、すっかり自然が失われてしまった。山砂利採取地の一部は、府民参加の森づくりの公園として整備される予定で、それに合わせて施設もその事業参加や施設面・精神面の環境対策として取り組もうとしていたのである。
知的障害者の日中活動の中心は、従来は集団による訓練的、作業的なものに比重が置かれ、個人の楽しみや余暇は二の次になりがちであった。生活や健康面のみならず、日中活動や生き甲斐、自己実現をどのように支援していくかが大きな課題となっているなか、身近な場所で誰もが楽しめる、自然を生かした活動として、「ビオトープ」・「屋上緑化」・「園芸療法」の3つのキーワードを重ね合わせて屋上ビオトープづくりを始めた。
利用者さんの作業
作業には車椅子や歩行器の使用者も参加して、自然とふれ合うことができるように、スロープなどユニバーサルデザインにも配慮した。意識したことは、作業ペースを出来るだけ施設の利用者さんに合わせることだ。健常者中心の作業ならば2回ほどの作業で大方の整備は仕上るのだか、長時間の継続作業が難しいために、9回の作業に分け、利用者さんのできる作業内容で班分けし、職員やボランティア、NPOメンバーはそのフローにあたった。
車椅子園路の整備
はじめはコミュニケーションが難しい利用者さんもおられたが、回を重ねるごとに表情が豊かになり、“楽しい”とか“もっとやりたい”とか、終わった別れ際に“また来てねー、今度いつ来るの?”という声も聞かれた。作業日には開始時間の随分前から、手袋をはめ、帽子をかぶって私たちを待っていてくれたことを懐かしく思う。
完成式典
作業療法としての側面と精神面の癒しやコミュニケーションのリハビリ的な要素もあり、なにより利用者さんが“私たちにもできる”という自信に繋がったことが大きかった。それらの福祉的な要素に学校ビオトープと同様に豊かな人間性の育成につながり、地域に開かれた施設として、自然環境のネットワークの形成という要素も付加できたと思う。
現在、施設のビオトープを屋上のほか、施設の中庭にも広げ、ビオトープネットワーク京都が主催する里山活動にも参加し、前述した府民参加の公園づくりでも花壇や森づくりにおいて府民としての一役を担い、社会参加を行う方向で進んでいる。
ビオトープが切り拓くひとつの可能性の道である。

環境問題の解決には既存の枠組みを越えた総合的な取組が必要となる。そのためには環境という枠組みさえも越え出なければならない。そのような境界横断的な取組を実現させる場が、中心の無い動的なネットワークである。既存の枠組みや縦割りの壁を越えたネットワークが広がることで、はじめて社会に「生態系」という新たな枠組みを設定できるからだ。流域や生息地といった生態系の枠組みを導入することで、別の文脈で社会を読み替えることが可能となり、人々は既存の枠組みを越えた新たな結び付きやつながりが社会に潜在していることに気付く。そこから、社会システムの再構築と活性化が始まる。ここに紹介する「アサザプロジェクト」は、このようにして自然環境のネットワークと重なり合う人的社会的ネットワークの生成を社会に促し続ける取組である。
1995年に市民の提案によって始まったアサザプロジェクトは、国内で二番目に大きい湖沼である霞ヶ浦(流域面積2200km2)で、社会システムの再構築をめざす様々な取組を行ってきた。広大な流域には28の市町村と茨城、千葉、栃木の3県が含まれている。流域は行政の縦割りによって覆われているため、生態系の視点をもった総合的な政策や取組が不可能な状況にあった。行政分野ごとに縦割り自己完結型で実施される政策や取組の限界は明らかで、それらは水質汚濁や生物多様性の低下といった霞ヶ浦が抱える問題の根本的な解決に結び付くことはなかった。実際に、水質汚濁が深刻化した1970年代以降、行政は水質基準を達成する見通しさえ示せない状況にある。
カッパは自然からのメッセン
ジャー、出前授業にもどこへ
でもでかけます.
(飯島画)
生態系を視野に入れた「総合化」を困難にしている主な原因は、縦割行政や研究の専門分化にある。しかし、これらの専門組織や専門領域を隔てる壁を壊して取り払うことは不可能に違いない。そこで私は、壁を溶かし膜に変えることを考えた。「壊す」のではなく、「溶かす」という発想だ。また、総合化を「する」ものではなく、「起きる」ものと考えることにした。つまり、総合化が起きる「場」の創出を考えた。
アサザプロジェクトがそのような場を創出するためにまず行ったのは、地域コミュニティのネットワーク化によって流域を覆う取組であった。日本では、伝統的に地域コミュニティの範囲と小学校区の範囲が一致している地域が多い。霞ヶ浦流域もその例外ではない。そこで、霞ヶ浦再生をテーマにした総合学習を流域の170を越える小学校で行い、流域での学習のネットワーク化を進めた。各学校では霞ヶ浦と同時に自分たちの学区内の環境についての学習を行っている。別の文脈で、つまりカエルやトンボ、メダカなどの野生生物の視点で、学区や町の空間を読み直す学習を行う。野生生物の生態を学習することで、野生生物との共存に向けた町の空間の読み替えもできるようになる。
そのような学習を積み重ねながら、子ども達は自然と共存する町づくりの提案をまとめていく。目標は100年後にトキやコウノトリの舞う霞ヶ浦である。
現在は、毎年のべ1万人以上の小中学生が流域各地で様々な学習活動を展開している。霞ヶ浦で行われてきた大規模な自然再生事業(国の公共事業)も、子ども達のこれらの学習活動をベースに、「市民型公共事業」として実施されてきた。同時に、流域各地では子ども達の提案を基にした水源地の再生事業が、地域の大人たちと協働で町づくりの一環として実施されている。
学校の多様な活動がネットワークとなって流域を覆ったことで、生態系を意識した新たな人やモノ、金の動きを作る事業展開の場が生まれた。アサザプロジェクトには、農林水産業をはじめとした地場産業や企業、大学、研究機関、行政機関、学校、自治会、市民団体などの多様な組織や分野が、様々な事業を通して参画している。これまでにのべ14万人を越える市民が参加した。その中でNPO法人アサザ基金は、生態系を枠組みに多様な組織や分野を結び付けるビジネスモデルを提案し続ける機能を担っている。多様な組織や分野は個々の事業を通して結び付いていく。つまり、それは組織化された「固定したネットワーク」とは異なる、中心の無い「動的なネットワーク」である。
環境問題への取組は、規制や制限に依存する「問題解決型」から「価値創造型」へと転換していかざるを得ない。分散した多様な個による現代社会では、思想や理念を通して固定した価値観を人々に押し付けても、ネットワークを広げることができないからだ。今求められるのは、既存の枠組みから外れ、日常生活の中にあるモノやコトから新たな価値や意味を発見することだ。そして、それらを付加価値の連鎖として人々に広げていくことが出来たときに、社会に中心の無い動的なネットワークが生成する。それは、個々の人格が場として機能するネットワークでもある。21世紀の主体性とはそのようなものだと思う。
子ども達の活動が創り出す流域という面の上を、様々な専門分野を結ぶ「中心の無い動的なネットワーク」が展開し続ける。流域は、子どもと大人の協働の場となり、経験知と科学知の協働の場となる。それは、研究や技術が社会と協働し展開する場でもある。このような場の創出によって、新たな知の領域への歩みが始まり、これまで専門領域を隔て続けてきた分厚い壁が、内部と外部の豊かな対話を生み出す膜へと変容していくのではないか。それは、生命を生じさせる膜にも似て、活力ある未来社会の展望を与えてくれる。
宮川公男
服部正太
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